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平安神宮 京都

春らしくなってきたので
用事のついでに京都 東山
平安神宮によりました。
実はよく知らないことに気付き
背景、歴史などなど調べました。

場所:
〒606-8341 京都府京都市左京区岡崎西天王町
URL:
http://www.heianjingu.or.jp/shrine/heianjingu.html

電車でのアクセスは京都からだと
JRで山科まで、そこから東西線で東山
京阪でも行けると思います。
そこから歩きで9分ほどです。
大きな鳥居が見えるのでわかりやすいかも。

平安神宮とは↓

平安神宮の創建は1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して創建されました。第50代天皇の桓武天皇を祭神に迎え、幕末の戦乱で荒廃した京都の再興を願った京都の人々により建てられたのが由来です。
桓武天皇は平安京の遷都を行った天皇で、おや神様と親しまれ、在位中は難民の救済や学問の奨励を進めたとされ、復興を願う京都の人々に慕われていたと言えます。1940年(昭和15年)には、明治維新の基を築いたと言われる第121代天皇の孝明天皇も、祭神として鎮座しています。
社殿の大極殿(だいごくでん)は、平安京の大内裏の正庁「朝堂院」を縮小して再現した作りになっていて、平安時代の雅やかな京都を現在まで伝えています。天皇の即位や、新年の朝賀など、国の主要な儀式が行われる建物です。国の重要文化財に指定されています。

https://www.veltra.com/jp/travel/article/heianjingu/#:~:text=%E5%B9%B3%E5%AE%89%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%81%AE%E5%89%B5%E5%BB%BA%E3%81%AF,%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8C%E7%94%B1%E6%9D%A5%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82&text=1940%E5%B9%B4%EF%BC%88%E6%98%AD%E5%92%8C15%E5%B9%B4,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E9%8E%AE%E5%BA%A7%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

たてられたのは明治なんですね。
今も重要な儀式で使われているのですね。
まだ新しく感じますね。

平安神宮の建立について補足↓

実は、平安神宮を建てたのは京都の人々でした。
幕末の戦乱で市街地は荒廃してしまったのです。
その衰退ぶりは目を覆うほどで、明治維新によって首都が東京へ移されたことも、京都の人々にとっては心を打ちひしがれるほど辛いことでした。
しかし、京都の人々はこんな状況下でも京都を救うために何かができると立ち上がりました。
京都復興への市民の情熱が、この美しい平安神宮を造り上げたのです。
京都は平安神宮だけでなく、復興事業には、教育や文化、産業、生活など全てにおいて新しい京都が造りだされました。
しかし、古き良き時代を思い起こさせるものを維持したいという人々の心が活かされ、昔の京都を模したものが造られています。
しかも、京都の人々の思いが全国の人々へと繋がり、京都を始まり全国民の思いが詰まったのが平安神宮です。
心が温かくなるような、創建の事実ですね。

https://wondertrip.jp/93057/

そうかぁ、幕末すごい荒れましたもんね京都。
昭和には火災にもあっているそう。
それについては↓

残念なことに昭和51年(1976年)1月6日に、放火による火災が発生したのです。
午前3時35分という未明のことでした。
本殿はもちろん内拝殿など9棟が炎上し焼失しました。
外拝殿の大極殿は被害に遭わずに済みました。
これは、新左翼活動家の加藤三郎による放火で、放火テロ事件とされています。
「民百姓に塗炭の苦しみを与えるような平安京を造営し、蝦夷も侵略した」、「桓武天皇を祀ることは神への冒涜」とのことによる犯行でした。
自動火災報知機を付ける義務がまだなかったころで、夜中に起こった放火だったため発見が遅く大部分が焼けてしまったのです。
しかし、創建が新しかった平安神宮は、このころまだ文化財指定を受けていませんでした。
残念なことに文化財指定を受けていないということは、いくら神宮という名前で格が高くても国からの補助金をもらうことはできませんでした。
でも、国民の思いは強かったのです。
全国から募金が集まり、3年後に本殿や内拝殿が再建されました。

https://wondertrip.jp/93057/

焼けて、3年後に国民の力で
再建するなんてすごいですね。

国の重要文化財になっている応天門は「弘法も筆のあやまり」
由来となった門だそうです。↓

応天門の屋根の下には、「應天門」と書かれた扁額(へんがく)がかかっているのですが…その昔…平安京の應天門に掲げられていた額は、弘法大師(空海)によって書かれたと伝えられています。その際に「應」の一画目の「点」を一つ書き忘れたことに気づき、筆を投げて点を書き加えたとか…!

https://kyoto-shrine.com/heiangingu-midokoro/

平安神宮で行われる、京都三大祭りの一つ
時代祭は、毎年10月22日に開催されます♪
時代祭とはざっくりいうと平安時代の
人々に紛争した人々のパレードのような感じです。
当時の風俗なども見れ面白そうです。
見てみたいなぁ。

平安神宮新しい神社ですが
色々あり面白いですね。
また改めて訪れてみたいと思います。